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仕事を辞めて気づいた3つの大切なこと

会社を辞めるときの手続き マル得 ガイド

仕事を辞めたことを後悔しているか

 国家公務員としての仕事を辞めて、すでに3ヶ月以上が経過した。

 日々の労働から解放されて自分と向き合うことのできたこの3ヶ月間は、私の人生にとってとても有意義な時間であった。次のキャリアに向けて、法科大学院適性試験を受けたりTOEICを受けたりしていたので暇な訳ではなかったが、健康的な食事をし、適度な運動と軽度な頭脳労働、それから十分な睡眠をとりながら、自分と、自分の人生と向き合うことができた。

 さて、仕事を辞めた多くの人が自らに「仕事を辞めたことを後悔しているか」と問うように、私もここで自分に問うてみたいと思う。

 「仕事を辞めたことを後悔していますか?」

 こんなありきたりな質問に、私は胸を張ってこう答えたい。

 「一切後悔していません」
と。

 「後悔している」という答えを望んでいた読者の方には申し訳ないが、私は仕事を辞めたことを一切後悔していない。むしろその選択をして大正解だったと感じている。これは一切の強がりではなく、見栄でもなく、心からの本音であることをここに誓いたい。

 その理由は、大きく3つある。もちろん、細々したことは沢山あるが、ここでは主要な3つを書き記しておきたい。

1日の長さを知ったこと

 1つ目は、1日がこんなに長いものであることを知ったということである。

 仕事をしていた頃の私の平日の過ごし方は次のようだった。

 朝6時に起床し、7時に家を出て、8時に会社に着く。そこからずっと仕事と格闘し、深夜24時頃仕事を終えて帰路につく。25時頃家に着き、すぐに床につく。翌朝6時に起床し、7時に家を出て…

 そんなこんなで、自由な時間は一切なかった。あるとすれば、通勤中の電車の中(ただし、満員電車でギュウギュウのためほぼ何もできない)だけである。昼休みですら、20分程の昼食の時間を除き、夜の残業を減らすための労働に充てられた。

 1日で16時間の労働をしているため、午前中の4時間なんてあっという間に過ぎ去っていった。

 平日このような無茶な労働をしていたため、土曜日はほぼ寝て過ごし、日曜日にだけ好きなことをして過ごしていた。

 多くの人は、年齢を重ねると時間が早く感じるようになるという。この原因には諸説あるが、私は、「仕事」にその原因があると考える。社会に出て「仕事」をやるようになり、自分のやりたいことができず、「自分として生きている」時間が減ることで、時の歩みが早く感じるようになるのである。

 その証拠に私は今、時間の流れが非常にゆったりとしている。十分な睡眠をとって意識がはっきりしているおかげでもあるのだが、「あれ、まだ午前9時にもなってないの?」なんてことが往々にして起こる。

 時間がスルスルと私の周りを流れ行き、このままあっという間に人生が終わるという絶望に打ちひしがれていた1年前に比べて、1日1日が非常に有意義に感じる。私を取り巻いていた絶望はいつの間にか希望に変わり、ネガティブな感情は一切排除された。私の目に映るのは輝かしい将来だけである。 

お金を稼ぐ手段はいくらでもあるということ

 2つ目は、現実的な理由である。いくら明るい将来が待ち構えていたところで、今日を生き抜くことができなければ意味がない。世の中の多くの人がそうであるように、私も「サラリーマン」として働くのが正しい道であると教えられ、そう思い込まされてきた。しかし、仕事を辞めて、お金を稼ぐ手段はいくらでもあることに気づかされた。

 このことは、私よりも一足先に新卒で勤めた会社を辞めていた大学時代の友人からも聞いていた話なのであるが、私の友人の話をここで出したところで説得力に欠けるので、ドラマ「私 結婚できないんじゃなくて、しないんです」の原作となった「スパルタ婚活塾」や「LOVE理論」など数々のヒットを連発している水野敬也氏によるベストセラー「夢をかなえるゾウ」から、ゾウの姿をした神様ガネーシャの言葉を引用したい。

夢をかなえるゾウ

 誰にもそれぞれ時間という「器」を持ってんねや。例えば、1日は24時間やろ。これは誰にでも与えられた平等な器や。で、今、自分の器はぱんぱんに詰まってるわけやな。会社行ったり、友達と会うたり、寝たり、マンガ読んだり、そうやって24時間ぱんぱんにして過ごしてんねや。その器にこれから新しいもんいれようとしても入れられへんやろ。もうぱんぱんやねんから。さてここで質問や。そんなぱんぱんな状態から新しい生活を手に入れよう思たらどうしたらええ?その通りや。何かをやめて時間をつくるんや。「捨てる」とも言えるな。そうやってぱんぱんに入った器から何かを外に出すんや。そしたら空いた場所に新しい何かが入ってくる。それは、勝手に入ってくるもんなんや。たとえば、自分の周りで会社辞めたやつも、意外としぶとう生きてるやろ。それは、会社辞めることで空いた器に何か新しい仕事が入ってきとるからやねん。とにかく、人生変えていくいうのは、そういうイメージやねん。分かる?

 むしろ、会社から離れることで、会社という組織のために稼ぐよりも、自分の努力がダイレクトに結果に結びつく仕事をすることができるようになる。会社にはどうしても自分の力で稼ぐことのできない人が存在し、そんな人達の分まで稼がなければならないからである。自分で稼ぐ能力のある人は、ありきたりな働き方に縛られる必要はないのである。また、自分の力で稼ぐことができるのは、ごく一部の限られた人々(三木谷さんや堀江さん)だけではない。普通以上の能力がある人は、自分の力で稼ぐことができるはずだ。たった数十年前は、会社勤めの方がマイナーで多くの人は商店街の個人事業主であったことを忘れてはならない。

人生が楽しいと思えたこと

 第3の理由。これが一番大きい。

 それは
人生が楽しい
と思えたことである。1年前の私は、「このまま仕事に追われて、誰かが歩んだのと似た様な没個性的な道を歩んでいくだけで、歳をとっていくのか。ありきたりに働いて、ありきたりに結婚して、こんな面白みのない人生は、緩やかに死んでいくのと同じだな。生きてる意味ないな。いっそのこと早く死んだ方がドラマティックだな」などという絶望的な絶望に打ちひしがれていた。

 これは誇張でもなんでもない。本当にこの通り思っていた。唯一、車を運転してドライブに出かけている間だけが救いだったが、この救済がなければ自らの人生に終止符を打ちかねない勢いで退屈な人生に絶望していた。別に鬱病的傾向はなかったので念のため。もし私が当時精神科に行ったとして、下されたとしても「中2病」という診断くらいであろう。

 しかし、仕事を辞めてみて、人生は楽しいと思えるようになった。それは1つ目の理由「1日の長さを知ったこと」で述べたように、毎日過ぎていく一刻一刻が非常に有意義であることと、将来的な希望に溢れていることに起因するだろう。2つ目の理由「お金を稼ぐ手段はいくらでもあるということ」で述べたように、資金面での問題も特に抱えていないからだろう。そして何よりも大事なのが、自分の生きたいように生きることができているからである。

 自分が決めた時間に寝起きして、自分の食べたい時間に食事をとる。自分が読みたい時に本を読み、自分が勉強したい時に勉強する。自分が働きたい時は働き、自分が運動したい時は運動する。

 これこそ、人類が長い歴史の中で時に戦争し時に論争しながら究極的に追い求めてきた「自由」であり、自分の思い通りに過ごすことのできる「自由」に溢れた人生が楽しくないはずがあろうか。

まとめ

 以上述べた3点の理由で、私は仕事を辞めたことを一切後悔しておらず、また、正しい選択であったと感じている。もちろん、仕事を続けていればまた違う楽しみも待ち受けていたかもしれない。しかし、何かを得るためにはそれ相応の対価が必要であり、私は退職によって支払った対価に惜しむところは一切ないのである。

(ただし書)

 もちろん、世の中のすべてのサラリーマンを見下したりしているわけではないことをここに付記したい。むしろ、上司の指示に従いながら部下を率いて社会的なバリューを生み出している方々には尊敬の念を感じている。

 あくまで、私にとって、国家公務員としての仕事を辞めたことが正解だったということだ。中央省庁という超過勤務200時間深夜サービス残業当たり前の極めてブラックな職場で擦り減っていた私には、ロングバケーションが必要だったということだ。

 もし、私と同じように現在の仕事に擦り減らされて人生を終えていくのではないかと絶望を感じている方がいたら、まずは広い世界に目を向けてみてほしい。あなたが生きていける場所は、現在の職場だけではないかもしれない。視野を広げるために、他の業種の人と飲みに行ってもいいだろう。飲みに行く伝手がないのであれば、リクルートエージェントビズリーチに登録するのもいいだろう。他業界の人と会話するという貴重な機会を得るために、これらのサービスを使うのである。

 視野を広げた上で、それでもやはり自分の現在の職場が最も合っているように思えば、現在の仕事に邁進すればいい。納得して働けば、どんなに過酷な環境であろうとベストパフォーマンスを出すことができる。1度きりしかない人生、自分の道は自分で切り開き、満足のいくものにしなければ損である。