子供の頃からずっと、父のことが苦手だった。
父親への苦手意識は、幼少期からモヤモヤと心の中で渦巻いてはいたのだが、苦手な理由を言葉で明確に説明できるようになったのは、高校2年生の頃だったように思う。
地元の公立中学校を卒業して、渋谷の近くにある高等学校に進学した私は、外部から様々な刺激を受けた。
学校の友人は多種な思考と多様な嗜好を有した自由な人間達だったし、放課後に出歩いた渋谷ではそれまでの常識的な価値観が崩される経験を積み重ねた。
そんな高校時代の私は、父を見て、
「あまりにも『普通』に固執しすぎている」
そう感じたのである。
父は、平均的な家庭に生まれ、健全な少年時代を過ごし、そこそこの高校・大学を出て、安定した会社でサラリーマンとして働いていた。
夏に海に行くこともないし、冬にスキーに行くこともない。
たまに旅行に行くとしても国内ばかりで、唯一の海外旅行もパックツアー。
座右の銘は「分相応」で、愛車はトヨタの大衆車。
別に、人の生き方は自由だ。
父がどのような人生を送ろうと、特に構うことはない。
ただ、息子の私に対しても、「普通」を押し付けようとしてきたときはさすがに参った。
大学生になって朝帰りしたら烈火の如く怒り出すし、航空券とホテルを自分で手配して1週間ほどアメリカに旅行する旨を伝えたら理不尽に激怒されたこともある。
しかし、そんな父親に、人生で最も深く感謝した日がある。
それが、丁度1年前。
私は、自分の夢を追うために仕事を辞めることを、父に伝えた。
例によって怒られるのではないかと身構えながら話していた私に対し、父はただ黙って頷き、最後に一言こう告げた。
「困ったときは、いつでも頼ればいいから」
不確実な将来に歩を進めようとしていた私にとって、その言葉はとても心強かった。
それまでつまらない人生を送っているように見えた父が、急に大きな存在に見えたのである。
一家を支える大黒柱は、父のような人間が最も理想的なのかもしれない。
私は当面の間、堅実さとはかけ離れた人生を歩むことになる。
父の求める「普通」の人生は、送ることができそうにない。
しかし、心のままに生きて人生を十分に楽しんだ後は、父のように平均的な人生を送るのも悪くない。
決して揺らがず、他人の人生を支えられる存在になるのである。