注意
既存の法学ガールシリーズとは異なり、あくまでも勉強中の大学院生が自分の理解のために書いているものです。したがって、誤解・誤謬が含まれる場合がございます。
また、適宜文献を参照しておりますが、参照元に関する記載が粗い場合がございます。
その点御容赦の上、懐疑的にお読みくださいますようお願いいたします。
大学近くの喫茶店TIESに来ていた。食べログで高評価がついたせいで有名になり、休日は人で一杯のこの店だけれど、平日は静かで心地よい雰囲気に包まれている。ここは、喫茶店なのにケーキが卓越して美味しい。特にオススメはモンブラン。
そんなモンブランを、
僕は、
奢らされていた。
「なになに、そんな物欲しそうな目で見ないでよ。刑法の中間テストで自分の点数以上を取ったらおごってくれるって言い出したのはそっちじゃないか。」
それはそうだけど、まさか…
「まさか、2人とも満点だとは思わなかったって? はは、『自分の点数以上』って言ったのはそっちだからね。今後、自分が発する言葉にはもっと慎重になったほうが良い。言葉で仕事をする法律家を目指すならね」
それがご馳走してもらっている人間の言葉かー!!
でもさ、案外、中間テスト簡単だったね。答案構成とかしなくても、余裕で頭のなかでピピピっと構成して書き始められたし。
「なるほど、だからあんなに答案用紙目一杯の答案を書いていたということなんだね。どんだけ書くのが早いのかとビックリしちゃったよ。でもさー、あれだけ書いても、私みたいに半分の文量でも、結局同じ点数とか、君の答案はコスパが悪いよね」
……。
点数を文字数で割らないでいただきたい!
実際、司法試験は文字が多いほど点数が高い傾向にあるのだから、書けるのであれば文量が多いに越したことはないはずだ。
「でもね、答案構成は、きちんとやった方が良いよ。頭のなかに広大なホワイトボードが広がる天才ならいざしらず、凡人は書こうと思ったことを書き忘れたりしてしまうからね。今回はシンプルな事例だったからそんなこともなかったんだろうけれど、試験本番には登場人物が複数登場する共犯の事例問題が出題されるだろうからね」
凡人と言われた…。
「いやいや、司法試験受験生の大半は凡人なのだから、そう落胆することはないよ。そういえば、島田総一朗先生の後を引き継いで事例演習刑法を書かれている小林憲太郎先生も、答案構成はしっかりすると書かれていたよ(『事例から刑法を考える』p.3)。天才ですら踏むステップを、凡人が飛ばしていいわけがないよね。
って、そんなに落ち込まないでって。平凡であることはいいことじゃないか。特に背負わされるものもないしさ。私は羨ましいよ」
才能ある者からの嫌味にしか聞こえないのだが…。
「それはそうと、前回、法律の留保が終わったけれど、次は何を検討すべきだったか、覚えてるかな?」
確か、行政行為の違法性の検討をする大前提として法律の留保があって、法律の根拠があるとしても、それに行政側の裁量があるかどうか、法律の文言及び行為の性質から判断するんだったな。
Ⅰ 訴訟類型の選択(取消訴訟、義務付け訴訟、当事者訴訟、etc.)
→訴訟要件の検討
(例えば取消訴訟であれば、①処分性、②原告適格、③訴えの客観的利益、④被告適格、⑤管轄、⑥出訴期間、⑦審査請求前置主義の有無)
Ⅱ 違法性の検討
→大前提として「法律の留保」
i 裁量がない場合
→判断代置
ii裁量がある場合
→①社会観念審査(比例原則、平等原則、信義則等)
②判断過程審査(他事考慮、重大な事実誤認、目的・動機違反)
③手続的コントロール(聴聞、理由付記等)
※裁量の有無は、憲法上の権利及び当該法律の趣旨目的を踏まえた上で、当該法律の文言及び処分の性質から判断する
そして、裁量がない場合には、裁判所が行政機関の立場から判断をし(判断代置)、裁量がある場合には、社会観念審査や判断過程審査を行って裁量の逸脱・濫用がないかを判断すると。
「そうだね。裁量がないのは極めて例外的なケースだから、多くの場合には①社会観念審査や②判断過程審査の道を辿ることになる」
②判断過程審査に含まれている、「他事考慮」というのは、本来考慮すべきではないことを考慮することだろうし、「重大な事実誤認」や「目的・動機違反」というのも日本語そのままの意味で理解できるな。
でも一方で、①社会観念審査に含まれる、比例原則、平等原則、信義則については、抽象的すぎていまいちよくわからないぞ。
「ふふふ、じゃあ、社会観念審査で用いられるそれぞれの概念について順番にみていこうか。
一番簡単、というか、説明がしにくいのは、信義則だね。民法1条2項や民事訴訟法2条のように明文の規定はないけれど、公法関係においても信義則は強力に機能する。実際の問題では、公権力の側の言動によって『法律上保護すべき信頼』が生じているか否かを検討するのが大事かな」
信義則については、民法でよく出てくるから何となくわかる。
「社会観念審査の中で最も重要なのが、比例原則だ。君が好きな憲法の内容と最も密接に関連する部分だよ」
好きというか、理解が追いついていないから憲法から始めたいといったはずなのだけれど。
でもそういえば、六戸先生がよく「ドイツ流に、比例原則の観点からこの事例を見てみると…」みたいなことを言っていたな。憲法で問題となる比例原則っていうのは、行政法における比例原則と一緒ってこと?
「いいところに気付いたね。大枠としては、同じものとしてとらえていいと思う。付随的違憲審査制がとられている日本において、単独で法令の違憲性を審査することがない以上、裁判における憲法判断は、個々の裁判におけるひとつの争点として争われるものだからね。憲法に関する争点だけを取り上げて、『憲法上の問題』として論じているのが、憲法の試験だということさ。もっとも、それは行政事件において適用違憲が争われる場合にのみストレートに当てはまるのだけれど。
他方で、法令違憲が問題となるような憲法の問題においては、「法律の留保を満たす」ことの根拠となる法律自体について比例原則の観点から審査するよね。そのような場合は、行政事件において適用違憲が争われるのとは別の次元で、比例原則を用いることになる。もっとも、『行政府⇒国民』という構図が「立法府⇒国民」という構図に変わっただけだから、比例原則の考え方は基本的に同じだし、これまで用いてきた行政法のフレームワークをそのまま流用できるけれどね」
そうか。法令違憲の場合は、立法の問題だから、行政に関する考え方の枠組みを立法権にも拡張して考えなければならないわけか。その場合は、行政府の裁量ではなく、立法府の立法裁量を逸脱しているのかを比例原則の観点から判断するんだな。
その上で比例原則の観点からそもそも法令違憲になってしまえば、根拠法令が無効になるから当該法令に基づく処分は法律の留保原則に反して違法ということになるし、法令違憲にならずとも、適用の仕方が比例原則に反しているのであれば、適用違憲あるいは違法になるということか。
「理解が早くて助かるよ」
でも、肝心の比例原則が何なのか、全然分からないぞ。塩野先生は「①必要性の原則(警察違反の状態を排除するために必要な場合でなければならない)、②過剰規制の禁止(必要なものであっても、目的と手段が比例していなければならない)」の2つからなると説明していたけれど(塩野Ⅰp.84)。でも、憲法において比例原則が問題になるのは、必ずしも警察違反の状態を排除する場合だけじゃないような。
「そうだね、あくまでも違反の状態を排除するために必要な場合に、目的と手段が比例していなければならないとする警察比例の原則は、比例原則の出発点であって、現代においてはより広汎に妥当すると考えるべきだろう。だから、警察違反の状態を排除するためだけでなく、必要性が認められるのであれば①必要性の原則は満たすし、その必要性に応じて②過剰規制となっていないかを判断すべきだ。
特に憲法の場面においては、ドイツの判例により精緻に発展させられた目的・手段審査の観点から比例原則をとらえるべきだろう(宍戸p.50)。行政法の答案においても、目的手段審査を用いてもいいと思うけれど、少し大仰な感じが出てしまうからね。目的手段審査を意識しながらも、比例原則を純粋に適用する形でサラッと書く程度でいい気がするな。憲法においては比例原則が主戦場になる場合が多いけれど、行政法ではあくまでもひとつの考慮要素にすぎない場合が多いからね」
比例原則を純粋に適用する形でサラッと書く、とは…??
「要するにね、先程の①必要性、②過剰禁止の観点から事案を当てはめて考えるということさ」
でも、それだと漠然としすぎていてなかなか難しそうだぞ…。
「それなら、刑事訴訟法における昭和51年決定の2段階目の枠組みを使ってみるのはどうだろう」
えっと、そもそも昭和51年決定というのは、強制処分法定主義(197条1項ただし書)と任意捜査の限界に関するものだったよな。1段階目がそもそも強制処分に該当するか、「意思に反する重大な権利利益に対する実質的制約」か否かで判断するというというものか。2段階目は、強制処分にあたらないとしても、何らかの権利侵害が発生する以上、捜査比例の原則が妥当するという…。
ん?捜査比例の原則、か。
「そうそう。そして、捜査比例の原則に適合しているかは、①必要性・緊急性と②対象者が被る不利益の程度を比較衡量して、相当性を満たすかという観点で判断するんだ」
比較衡量? 比例原則の判断に比較衡量を持ち込むべきではないというのを聞いたことがあるけれど。
「確かに、パレート最適を求めるべき比例原則に、価値衡量を組み込むべきではないという見解はある(宍戸p.56)。しかし、石川教授が違憲性阻却事由としての過剰禁止について、ドイツの議論を参照しながら日本に適合的な枠組みとして①合理性、②必要性、③利益の均衡性を提示しているように(宍戸p.53)、少なくとも我が国においては、比較衡量も含めて比例原則を適用していいように思われるのだよ。
だから、①必要性、②過剰禁止の観点からでは漠然としすぎていてあてはめにくいのであれば、比例原則の判断について、①必要性と②不利益を比較衡量して相当性を判断するという規範を立てた上で、その規範に基づいてあてはめをすることも十分に認められるのではないかな」
つまり、法的三段論法において、規範を自分が使いやすいように立てるということか。
「それから、憲法の答案においても、かっちりとした目的手段審査をせずに、比例原則を純粋に適用すべき場合もあると思う」
といいますと?
「憲法上の権利に含まれない場合、つまり、憲法の規定の保護範囲に含まれなかった場合だね。たとえば、レペタ事件で問題となった筆記行為の自由や、博多駅テレビフィルム提出事件で問題となった取材活動の自由というのは、それぞれ、憲法上保護された知る権利や報道の自由の精神に照らし十分に尊重に値するとはされているけれど、裏を返せば、保護範囲に含まれていないということだよね。保護範囲に含まれていない以上、三段階審査が一段回目で止まってしまう。だから、これらについての制約は、権利一般への侵害が問題となる行政法の事例とパラレルに扱うべきだ」
でも、そうだとすると、憲法上の権利として保障された私生活上の自由のひとつである「みだりに自己の容貌・姿態を撮影されない自由」についてはどうすればいいのだろう。
「確かにそれは悩みどころだね。京都府学連事件では、『①現に犯罪が行われもしくは行われたのち間がないと認められる場合であって、しかも②証拠保全の必要性および緊急性があり、かつ③その撮影が一般的に許容される限度をこえない相当な方法をもって行われる』という観点から判示をしているよね。
①については、事例特有の規範であるとして、②③について51年決定の枠組みで解釈するというのが刑事訴訟法の分野においては有力だよね(古江p.23)。つまり、純粋に比例原則を適用している。ただ、一方で、もし憲法の問題で写真撮影が問題になった場合には、私生活上の自由が憲法上保障されている以上、三段階審査の枠組みに入れるのだから目的手段審査を及ぼしてもいいのではないかな。現実問題として、刑事訴訟法に越境侵犯するような事例が憲法の問題で出されることは考えにくいけれどね」
なかなか概念が入り組んできたぞ。そもそも目的手段審査とか、三段階審査についての理解が不十分で、都恋ちゃんの話についていけてない。
「はあ、モンブラン美味しかったー! じゃあ、次は無花果のショートケーキとカフェオレにしようかな」
って、まだ頼むの? 僕の懐事情を少しは気にしてほしい…。
「え? 嫌なら、別にいいけど。でも残念だな〜。せっかく次は目的手段審査や三段階審査についての概念整理をしようと思っていたところだったのに。今日はもう帰るしかないかー」
……。
……。
分かったよ。奢ればいいんでしょ。
「そんな嫌々御馳走になっても、ちょっと心苦しくなっちゃうよね。仕方ない今日のところは……」
前言撤回! 喜んで御馳走させていただきます! 心ゆくまで御堪能ください!!
「わーい! 嬉しいな。そこまで言われると、奢られがいがあるというものだよ♪」