わたしを離さないで 主演 綾瀬はるか・三浦春馬・水川あさみ 原作 カズオ・イシグロ
子役の白身の演技で見ていて辛いところもあって、リアルタイムでは第1話しか見ていなかったのですが、英語の原作を読むにあたってドラマを見てみました。
暗い雰囲気が最初から最後まで諦観とともに流れ続けるこの作品。見ていて心が傷む場面ばかりでしたが、本当にいい作品でした。
リアルタイムで6%程度と低視聴率になってしまったのが勿体無いです。
あの時間帯にやるには暗すぎるテーマが問題だったのかもしれません。
特に、真美が死ぬ直前、街頭で自分たち提供者の人権について訴えるスピーチをする場面は、素晴らしかったです。もうちょっと流暢な日本語であのスピーチを聞いてみたい気もしましたが。
それから、第9話で恵美子先生が綾瀬はるかと三浦春馬に対して、自らもクローンであることを名乗り、陽光学苑を開いた理由を語る場面とか、第10話のラストで綾瀬はるかが恵美子先生と交わす会話とか、考えさせられる内容ばかりでした。
実際、クローンを利用した移植手術の話題について、ドライに考える人も多くいると思うのですが、将来的に内臓を移植させる目的でクローンとして生まれた彼らの姿を描くようなこの作品を見た後は、軽々しくそんなことを口にすることはできなくなりました。
と、そういう社会的な問題提起も、この作品に込められたメッセージではあると思うのですが、それ以上にもっと大事なテーマがこの作品を包んでいたように思います。
それは、人生にとって大事なものは何かということ。
私たちは、60年以上の人生を全うするつもりで毎日生きています。そのため、必要以上のものを多く欲しがります。洋服とか、高い車とか、いい家とか、それらの多くはお金で買えるものです。
でも、もし20代半ばには人生が終わる運命にあなたが置かれた時、同じようにそれらを欲するのでしょうか。
私はそうは思いません。
今の私がそうですが、20代半ばにして人生を終えるのであれば、その人生において手に入れようと追い求めるのは、お金で買えるような即物的なものではなく、人とのつながりだと思います。人とつながることでこそ、私は人生を終えた後もこの世界に残り続けることができるからです。
それらの人とのつながりは、友情や愛と呼ぶこともできるでしょう。
果たして今の私たちは、人生において本来追い求めるべき愛や友情を、大切にしているでしょうか。
20年強の人生と60年の人生で、そんなに意識の差が生じてしまうのはなぜでしょう。
その答えに気づくことができるのは、おそらく60近くなった時だと思います。もしその時までに、愛や友情を育むことができていなければ、きっと後悔することになるのでしょう。
提供者である綾瀬はるかや三浦春馬は、自分の命が終わる時期を明確に示されていましたが、私たちは普段その終わりがいつになるのか、意識することは少ないです。意識していないからこそ、無為に人生を浪費してしまう。
その点で、長く生きるであろう私たちは、提供者である彼女らより、価値のない人生を送っている可能性があります。
そんな考えが、綾瀬はるかの最後のセリフに込められているのでしょう。
原作の小説とドラマ版とは終わり方が少し異なるようですが、このドラマ版の終わり方も、味わいがあって素晴らしいものでした。
原作の小説は今から読みますが、そちらも本当に楽しみです。そちらの感想はまた今度書きますね。