知性の感じられる文章
ブログを書いていると、自分の日本語力のなさに絶望することがある。
書きたいことを思い通りに書けない。
当初考えていた内容が、文章にしていく過程で別の形に変容してしまう。
自分で読み返しても稚拙だと思うけれど、それ以上のものに仕上げることができない。
世の中にはすごい人が沢山いて、プロの作家でもなく会社員としての日常を送られているにもかかわらず、人を惹きつけることのできる魅力的な文章を書く方がいる。
人気ブログを運営されているブロガーもそうだし、手紙のようなクローズドなものを書くにあたっても才能溢れる素晴らしい文章を書く人もいる。
一方で、私がブログに綴る言葉には、知性の欠片も感じられないように感じる。
何が足りないのか。それはなんとなく分かる。
第1に、語彙力。
第2に、言い回しの多様性。
第3に、構成力。
恐らくこれ以外にもあるのだろうが、今の私には、これ以上見出すことができない。
「頭のいい文章」という言葉を聞くと、大学の論文のようなものを想起するかもしれない。しかし、私が求める「知的な文章」は違う。それらは機械的で、温かみがないからだ。
温かい言葉で人の心を動かし、ワクワクして退屈させない、それでいて精緻で完結した文章を書けるようになりたい。
そういえば以前、Amazonでヒットしていた「人を引きつける文章の書き方」みたいな本を読んだことがあった。
しかし、残念ながらその内容を一切思い出すことができない。当時、満員の通勤電車に揺られながら、眠い目をこすりこすり読んでいたせいかもしれない。
せっかく、時間を割いて読んだのに、そのエッセンスが何も私の中に残っていないというのは至極残念である。
しかし、大学時代の先生は言っていた。
「忘れたことはもう一度覚えればいい。人間、忘れるのは当然である。しかし、何度も覚えればいずれ忘れなくなる。だから、決して忘れっぱなしにするな」と。
文章の書き方に関する本を読み返したところですぐに上達する訳ではなくて、自分の能力の限界に絶望しながら記事を投稿する毎日をこれからも送ることになるだろう。
実はこの記事が、このブログで記念すべき400本目になるのだが、こんな私の文章を読んでくださっている方々には感謝しかない。
もしかしたら「読んでもらえている」なんてことは私の妄想に過ぎず、このブログにアクセスした大半の人は冒頭だけ見て「戻る」ボタンを押しているかもしれない。
しかし、万が一にでも定期的にこのブログを見てくださっている方がいる可能性を信じて、今の私に出来る限りの恥ずかしくない文章を書いていきたいと考える、初秋の夜長である。