リカレント!

Life is either a daring adventure or nothing.

正しい生き方なんてないのでは??

人生論 (新潮文庫)

自分が納得する生き方をすればいい

 今年の4月からブログを書くようになって、それと同時に、多くの人が書いたブログを読むようになりました。

 インターネットが社会に浸透していることもあって、男女世代問わず様々なブロガーがいて、己の意見や知見を日々発信されています。その多様性はまるで公立小学校の1学級のようで、これまで生きてきたバックグラウンドや現在置かれている家庭環境・仕事環境が全く異なることから、考え方も人それぞれです。

 仕事で得たノウハウや趣味に関する情報を発信してくれるサラリーマンブロガーや、恋や仕事の悩みをコミカルに語るアラサー女子ブロガー、特定の団体に所属せずに自分の足で立とうとするフリーランス(?)ブロガー、子どもたちとの愛らしいやり取りをブログに掲載されている主婦ブロガー、はたまた、ネット上では活動が活発な引きこもり系ブロガーなどいろんなブログがありますが、私はどのブログも好きで楽しく読んでいます(以前記事にした、記事外注ブログは除きますけど…)

 ただ、残念なのは、ブロガー同士やブロガーと読者との対立が絶えないことです。

 もちろん、熱い議論が文化を盛り上げ醸成するという側面もあるとは思います。しかし、時にはコメントが人格批判にまで及んだりして、ブログをやめてしまうところまで追い込んだりする場合もありますよね。

 私の実感ベースで恐縮ですが、現在炎上している某元アナウンサーのような非常識で気分を害するブログは極めて例外的で、炎上している記事であってもそれぞれの記事をよく読んでみると、わりとまともなことが書いてある場合も多いように思います。

 それなのにどうして毎日のように、記事の炎上→人格批判という流れが頻発しているのでしょうか。

 ブログが多種多様である以上、その原因も様々であると思いますが、そのひとつの原因として「自分の生き方以外を認めない」というのがあると思います。

 新卒でフリーランスとか、退学してフリーランスとか、それ系の記事が燃えているのはこれが主な原因です。

 いわゆる「レール」にのってサラリーマンとして社会に出た人はそれが正しい生き方だと信じているし、サラリーマンブロガーはたとえ収益があがっていたとしても会社とブログの両輪の生活を続けることが好ましいと信じ、他の人にもそれを勧めます。

 そういった考え方はそういった考え方で、いいと思います。まさにおっしゃるとおり、(ドメスティックな)企業に勤めていれば多少の辛い想いをしながらも安定した生活を確保することができ、それは立派な生き方で、私は心から尊敬します。

 しかし、それがまるで唯一の正しい生き方のように、それ以外の生き方を否定してしまうのは行き過ぎのように感じます。必死に生き方を模索している若者に自分の生き方を押し付けようとするその態度は、そうしないと自分の生き方を正当化できない、自らの人生に対する自信のなさを露呈しているようにも見えます。

 現在の日本社会においては、サラリーマンとして働くことが主流の働き方になっていますが、一昔前は、地方では農家等の自給自足、都市部でも個人商店を持つ生き方が主流だったように聞いています。

 多くの人の人生にとってその大部分を占める労働のあり方が時代とともに変化するように、人の生き方に唯一の正解なんてないのではないでしょうか。

 もちろん、その逆もしかりです。

 現状、「サラリーマンブロガーをフリーランスブロガーがコメントで叩いて炎上」のような事例はみたことがありませんが、ブログで生計を立てている方、独立しようとしている方にありがちなのは、「サラリーマンをバカにする」といったことや、「早く仕事を辞めて自由に生きるべき」ということを「上から目線」で語るということです。

 誰かに頼ることなく、自分の足で立つその生き様は、素敵でかっこいいです。私自身、そんな生活に憧れます。

 しかし、真っ当に働いて愛する家族を養っているサラリーマンを「かっこ悪い」「ダサい」と見下す醜悪さは、フリーランスを叩いているレール上の人々と同じです。

 どんな人だって、必死に自分が正しいと思った道を進んでいるわけですから、相応敬意を持つべきです。

 それが単に「自分の生き方と違う生き方をしていて気に食わない」という理由で否定するのはいかがなものでしょうか。

 他の否定により己を肯定するのではなく、他を肯定しながら己も肯定する文化が逸早く根付くいたらいいなと思います。

 人生に正解なんてありません。正しい生き方なんてありません。それぞれが自分なりに納得する生き方をすればいいのです。人生を送る中で、もし自分の生き方に納得できない時が来たら、違う生き方をしている先輩を頼りに進む道を変えればいいのです。そんなとき、採りうる選択肢を狭めないためにも、妬みなく他人の生き方を肯定できるといいですね。