私が官僚を辞めて弁護士を目指す理由を本音で語ります
いつもこのブログを読んでくださっている方、こんにちは。毎回ありがとうございます。初めてこのブログを訪れてくださった方、初めまして。当記事に興味を持ってくださり、どうもありがとうございます。
ブログ「3年でエリート公務員辞めた結果…」管理人の「さんエリ」と申します。まさにタイトルにあるとおり、私は、新卒で入った官庁を3年で退職し、現在司法試験に向けて勉強中の元国家公務員でございます。タイトルの中で、自ら「エリート」などと厚かましく名乗っていて申し訳ございません。自分でも引け目を感じるのですが、ブログタイトルにインパクトを持たせるため、あえてこのようなタイトルとさせていただきました。
さて、2016年4月から開始したこのブログですが、開始当初に次のような記事を書きました。
そこにはひたすらポジティブな内容を詰め込みましたが、この記事を書いてから半年経った今、「なぜ官僚を辞めて弁護士を目指すのか」その理由を本音で書きたいと思います。「ここまでさらけ出して良いのか」というくらい本音で書きますが、それでも「結局ただの言い訳」と思われる方もいることでしょう。それは仕方ありません。そういう見方もあることは当然のこととして受け入れさせていただきます。
さて、前置きはこのあたりにして、本題に入りたいと思います。
私が国家公務員を辞めて弁護士を目指す最大の理由、それは「目の前の困った人に、自ら直接手を差し伸べて助けられる存在になりたい」という想いです。
いきなりこんな耳触りの良いことを言っても偽善的で本音ではないように聞こえてしまうかもしれないので、この言葉の裏に潜む思いも合わせて述べておきたいと想います。
正直な話、公務員として働いているうちに、誰のために働いているのか分からなくなってしまったのです。
国家公務員という仕事は、基本的に住人と直接接することはありません(あるとしても、たまにかかってくるクレームの電話くらいです)。そして、住人一人ひとりをミクロに見据えながら施策を打つこともありません。基本的には、「調査」によって上がってきた統計データをもとに、「数としての人間集団」に対するマクロ施策を考えます。将来的にビッグデータの活用がよりうまくできるようになれば、個々の国民に焦点を当てることもできるのかもしれませんが、現状それはできていません。もちろん、行政としてはマクロ的なアプローチもミクロ的なアプローチも大事で、だからこそ憲法で保障された「地方自治」の下、マクロな行政アプローチを国や県が、ミクロな行政アプローチを市町村が担うという構造になっているのです。しかし、私は、国や県の立場でマクロ的なアプローチばかりに注力しているうちに、本当に国民のために働けているのか、疑問を抱くようになってしまいました。常日頃先輩方から「地方赴任先で出会った住人のことを思い描いて仕事をしろ」というありがたいアドバイスを頂いていて、まさにそのとおり、私が実際に赴任した岩手県の住人や学生時代の全国旅行で出会った多くの方々の顔を思い浮かべながら、私なりに思い描いた「国民」のために働いていたのですが、私の描く国民像が本当に正しいのか自信を持つことができませんでした。地方によって地域差もあれば、それぞれ仕事の環境も、世代も思想も健康状態も異なる多種多様な国民を総括的にターゲッティングすることは、多大な困難を伴います。
一方で、日本の議院内閣制の中で影響力の強い政治家はたびたび行政に口を挟んできます。それは閣僚でなくてもです。誤解のないように申し上げておきますと、政治家にだってまともで合理的な方はたくさんいます。過激で非合理な政治家が頻繁にマスコミに取り上げられ、国民の目にピエロのような姿で触れる機会が多くなっているだけです。実態はむしろ、頭が良くて性格も尊敬できる方が大半なのですが、ときには考えが行政部門と政治部門で衝突することがあります。互いに自分の論理を持ち、正義を背負っているのですから、片方が完全に引くことは基本的にありません。そんなとき、「妥協」が生まれるのです。これは決して、ヘーゲルが言うような「止揚」ではありません。あくまで「妥協」です。それによって生み出されるのは、どちらが期待していたような成果も挙げられない中途半端な施策です。
時には、いわゆる「省益」の存在を感じることもありました。政治家とその有権者との関係もあって、「前年度よりも多くの予算を確保することが正義」となり、そのためにやっきになって働いていたこともありました。当時の私は職務としてその正義を実現するために全力を尽くしていましたが、「財政難の現代社会において、果たしてこれが本当に行政のあるべき姿なのか」という疑問が何度も頭をよぎりました。
そのようにして、私は、国民のために働くことができているのか、「国民」とは何か、私が想像する国民像は虚構にすぎないのではないだろうか、本当に国全体のために働くことができているのか、もしかしたら特定の声の大きい政治家のために働いてしまっているのではないか、自分の所属する組織(省庁)のメンツのために働いてしまっているのではないか、はたまた、上司のために働いてしまっているのではないかと、自分が公務員として働く意味を見失っていったのです。
職場の先輩の中には、「こんなに辛い仕事でも、家族を持つと家族のために頑張れる」という方も何名かいらっしゃいました。それは確かに、一理あるかもしれません。ただ、私は独身の身。「働くために結婚する」というのは本末転倒ですし、万が一働くベクトルが「家族のため」という方向に100%向いているのであれば、それもまた国家公務員として働く意味がなくなってしまっているのではないかと考えました(もちろん、家族を大事にしながら、国全体がよりよくなるべく働かれている方々は多くいらっしゃいますので、誤解のないようにお願いします)。
働く意味を見出すことができないとしても、甘い汁を吸いながら楽にボロ儲けできる仕事であれば「辞める」という決断までは至らなかったかもしれません(極論)。しかし、一部の方には御理解頂いているとおり、現在の国家公務員の仕事は果てしなく激務です。日々業務改善施策が採られてはいるものの、そんなものは焼け石に水の劣悪な労働環境(真の意味でのブラック企業よりはマシでしょうが)の中で、命を削り、身を削りながら働いているのです。
私自身は、そんな環境を楽しみながら3年間過ごしていました。この「楽しみながら」というのももしかしたら詭弁で、そのように思わなければ乗り越えることができなかったため、「こんな膨大な業務を捌けている俺スゲー! 超楽しー!!」と自分に言い聞かせ続けるうちにそう思うようになっていたのかもしれません。
しかし、公務員として働く意味を自身に見出だせなくなった途端、自らかけた暗示も解け、最終的に公務員としてのキャリアを終える決断に至りました。(あくまで私が働く意味を見いだせなくなったというだけで、公務員が遂行している業務というのは、国でも地方公共団体でも、世間が思っている以上に重要で決して欠かすことのできないものです。念のため。)
もちろん、無鉄砲にキャリアを終えたのではなく、次の道を「法曹」に見据えた上での決断でした。
ここで、どうして「法曹」を目指すのか、その中でもなぜ「弁護士」なのかという疑問が当然浮かんでくるかと思います。
最初に言及した以前の記事で、「法曹になるのも夢だった」と書きました。これも理由ではあるのですが、これだけでは説得力には欠けるでしょう。
冒頭にも書いた通り、この記事は本音で書いています。余すところなく本音です。ですから、法曹を目指す理由についても本音を綴ります。
それを語るには、東北地方での経験について触れる必要があります。
私は、東京生まれの東京育ち。東北地方はもちろん、それ以外のどこの地方とも、地縁も血縁もありませんでした。2011年3月11日、東日本大震災が来るまでは。
東日本大震災というビッグワードを用いつつ、私が知っているのは、震災後、復興に向けて懸命に頑張る人々の姿と、彼らの口から語られる過去そこに住んでいた住人のことだけですので、拍子抜けしないよう予め申し上げておきます。
東日本大震災が起こってから数週間後、大学生だった私は、高校時代の仲間を中心に、大学生100人超で構成されるボランティア団体を形成し、宮城県沿岸部の被災地で炊き出しなどのボランティア活動を行いました。震災後間もない被災地は、建物や車は流され、電柱も全てなぎ倒され、辺り一面真っ平らでした。ときおり見かける、陸上に船が存在する非日常的な風景は今でも強く心に残っています。
避難所での集団生活の中、ボランティアの私達と一緒に高齢者や生活困難者相手の活動をする現地の若者には、心底力強さを感じました。
その後、何度も東北地方沿岸部を訪れた私は、彼らが元の生活を取り戻せるよう継続的に尽力していきたいと考えました。
もちろん、職業生活は数十年続くものですから、東日本大震災からの復興のためだけに、官庁のキャリアを選択したわけではありません。しかし、説明会で、実際に東日本大震災の対応に携わった職員の話を聞く内に、住民の生活の基盤を支え、今後日本を襲うであろう南海トラフ地震・首都直下地震等の有事の際には人命を救うための的確な決断をし、災害後の復興にも携わることのできる官庁の仕事に大きな魅力を感じていたのも事実です。
私が入った総務省では、入省直後に一度、同期全員が県庁に出向するのですが、以上のような経緯もあり、私は岩手県庁を希望し、希望通りに赴任させていただきました。
赴任中は、岩手県や宮城県の沿岸部をプライベートで頻繁に訪れ、復興に関する活動に様々参加していました。
私が法曹を目指すきっかけは、これら東北沿岸部での活動の中で与えられました。
復興真っ只中の被災地では、数多くのトラブルが生じていました。それは、法律に関わるものもあれば、そうでないものまで様々です。当時の私は、プライベートの活動としてできる限りのことを行いました。震災後早期の段階に求められていた瓦礫や砂利の処理といったハード面での活動はもちろん、沿岸部に人を集めるためのプロジェクト企画、沿岸部における商業の活性化企画などのソフト面での活動も行いました。それらは必ずしも実を結んだわけではありませんが少なからず貢献できたのではないかと思います。しかし、中には、当時の私にはどうしようもないものがありました。それが、重大な法律的問題を抱える方々でした。相続の問題など、比較的軽微な法律問題については私でも相談に乗ることができます。しかし、例えば、復興に係る補助金を餌にゼネコンに言いくるめられ必要以上に大規模の工場を建ててしまった水産加工業者であるとか、用地買収に係る土地の権利で揉めている住人であるとか、大きな問題を抱えている方は、私では対処しきれませんでした。それは、週末に片手間で対処できる問題ではありません。一方、私が岩手県で行っていた仕事は、復興特別交付税の市町村への分配など、マクロなものばかりでした。もちろん、それも意義ある重要な仕事です。しかし、その仕事をしながらも、手を差し伸べることができなかった沿岸部の住人の顔が心から離れませんでした。
語弊を恐れずに申し上げると、国にしろ地方公共団体にしろ、公務員の仕事は、ある程度のキャパシティがある人であれば誰でもできる仕事です。そうでなければ、人事を回すことができませんから。頑張ってオリジナリティを出そうとしても、上へあがっていく段階で予定調和的な形に整えられるだけです。
つまり、国家公務員として私が遂行してきた職務は、別に私でなくても、ある程度の能力を持った人間であればできるのです。
ここでやっと記事の前半部と繋がるのですが、命を削り、身を粉にして働くのであれば、代替のきく公務員の仕事よりも、「目の前の困った人に手を差し伸べる」という、私にしか出来ない仕事をしたいと考えました。
「目の前の困った人を助ける」と一口に言っても、その方法は様々です。医者であればまさに命を救うでしょうし、ミュージシャンであれば心を救うでしょう。そんな中、大学で法律を学び、上述のような東北沿岸部での経験をした私が選択したのが「弁護士」だったのです。
これに対して、次のような反論があることは承知しています。
「弁護士が溢れるこの御時世、お前の代わりになる弁護士なんて沢山いる」
これは、一見、理があるように思いますが、必ずしも適切な反論ではありません。
なぜならば、私の目の前で法律問題を抱えている人に、必ず他の弁護士が手を差し伸べるとは言えないからです。
確かに、当人が自ら法律事務所に出向き、弁護士に相談する可能性もあります。しかし、一方で、心理的な敷居の高い弁護士に相談せず、また、誰からも救いの手を差し伸べられることなく、最悪の結末にいたる可能性も多分にあります。
これは、私がいなければ他の人員が「ほぼ確実に」補充される公務員の仕事とは違うところです。
私の目の前で困っている人を「確実に」助けることができるのは、私だけなのです。ただ、その「私」が、なんの技量もない凡人であっては意味がありません。助けるべく手を差し出したところで、何も出来ないからです。はたまた、その「私」が、その相手に割くことのできる時間が少ない人間であってもいけません。手を差し出したところで、十分なケアができないからです。そうであるからこそ、その人を救うための技量を十分に有し、相手を助けることに全力を尽くすことができる弁護士を目指すことにしました。
今後、私の家族や友人の周りでも、法律的なトラブルが生じるかもしれません。相続などの家庭内の問題はもちろん、交通事故をはじめとする対外的なトラブルが生じる危険性は常に身の回りに潜んでいます。そんなとき、傍目に見ながら知り合いの伝手を辿るのではなく、自らが手を差し伸べて問題を直視し解決に導ける人間になりたいのです。
以上が、「目の前の困った人に、自ら直接手を差し伸べて助けられる存在になりたい」という想いから、国家公務員を辞めて弁護士を目指す理由です。
このような自己満足的な長文に最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。心より感謝を申し上げます。もし何かございましたら、コメント欄やTwitter等で御連絡いただけると幸いです(傷つくような内容はご勘弁頂けるとありがたいです)。
最近、カジュアルな記事内容が多いですが、これからはこの記事のように本音で人生と向き合う記事の投稿も増やしていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。