リカレント!

Life is either a daring adventure or nothing.

自由に安楽死できるようになったら、死を選びますか?

安楽死のできる国 (新潮新書)

オランダの安楽死法制に関連して

 オランダの厚生大臣と法務大臣が安楽死の対象を拡大することを議会で提言したことについて、英ガーディアン紙が報道したことを受けて、安楽死に関する議論が再び活発になっていますね。一部の日本語メディアにおいて、拡大する対象を「人生に疲れた人」と訳していましたが、ガーディアン紙の原文では「those who feel 'life is complete'」と書かれています。

 「life is complete」の意味については、解しにくいところがありますが、英語版ヤフー知恵袋であるYahoo Answersでのやりとりを見ると、「人生を全うしたと感じる人々」と解した方がより適切だと思います(参照:my life is now complete...? | Yahoo Answers

 と、そんな日本語訳の問題は本論ではないのでこの辺で。

もし自由に安楽死できる環境になったら

 ここからが本題です。

 この記事を読んで思ったのは、「万が一、日本の法制度が変更されて、人々が自由に安楽死できるようになったとしたら、果たして私はどうするだろうか」ということです。オランダの話よりももっと進んで、無条件で安楽死ができる環境になったら、ということです。

 

 平成生まれの私は、これまでの二十数年、暗い時代を生きてきました。生まれたときには既にバブルは崩壊していて、国内ではデフレが渦巻き、海外からはリーマンショックやギリシャショックといった大波が押し寄せるいわゆる「失われた20年」しか知りません。

 大学の学費は国立であっても高額だし、就職は氷河期給料は大幅な下方修正がされ、挙げ句の果て、年金や社会保険料の負担は増すばかり

 これでも比較的、同世代の中では恵まれているのかもしれませんが、一世代前に生まれていれば、学費も今より安いし、バブルでウハウハ、足りない年金や保険料は下の世代に押し付けろの明るく楽しい人生だったのになんて思うこともあります(極論)。

 アベノミクス旧3本の矢により、多少は景気の持ち直しが見えたものの、少子高齢化問題の根本的な解決はなされず、中国やインドの台頭する現在、これから日本で暮らしていくには数多くの困難が待ち構えているように思います。

 身近なレベルに落とせば、毎朝満員電車に揺られ、人間関係を気にしながらオフィスで日中を過ごし、終電で帰る生活の末に得られる安い給料の中から、年々増加する税金や年金等を支払い、残ったお金で自分の家庭だけでなく、親の介護までしなければならない、そんな生活です。

 

 こんな現状を受けて、暗澹たる思いに駆られることもあります。

 それでも、私自身は、自由に安楽死できる制度が構築されたとしても、自ら死を選ぶことはないと思います。

 なぜならば、この時代にも楽しいことは沢山あるからです。

 スマホやVRといったデジタル技術に関してはもちろんそうですし、シンゴジラや君の名はの映画や村上春樹の新作小説といった大衆文化だって、この時代に生きていたからこそ楽しむことができるものです。昔より自由に海外旅行をすることもできますし、LCCの導入により国内旅行も安価に楽しめるようになりました。いずれは宇宙に行くことも可能になるかもしれません。また、労働環境も少しずつですが、変わりつつあります。テレワーク(リモートワーク)により電車に乗って通勤しなくても自宅で仕事ができる環境も広がりつつありますし、そもそも会社に所属しなくてもインターネットを利用してお金を稼ぐことのできる時代でもあります。はたまた、愛する友人や恋人とは、この時代に生まれなければ会うことはできませんでした。

 この時代に生まれたからこそ享受することのできるこれらを、安楽死によって自ら放棄しようとは思いません。確かに社会的な負担は大きいけれど、それだって頑張ってなんとかならないことはないはずです。

 

 もちろん、この考えを押し付けるつもりはなくて、例えば莫大な借金を抱えていて自己破産もできない場合や、過度な長時間労働に苦しんでいるのに家族を養うためどうしても会社を辞められない場合など、一概に「頑張ってその人生を生き抜け」と言い切れない場合もあると思います。どちらの場合であっても、いずれ光明が見えるから頑張って生きたほうがいいと思うのですが、それでも死ぬという場合に、安楽死ができないことから生じる首吊りや飛び降りといった痛くて苦しい非人道的な死に方をするよりは、周りの理解を得た上で痛みのない人としての尊厳を保った安楽死をさせてあげた方がいいという考え方もできるかもしれません。

 

 私たちは、幼い頃から「自殺はいけないこと」であるという道徳を植え付けられていますが、これには必ずしも正当な根拠があるわけではありません。

 オランダでは痴呆症の患者や精神疾患、治る見込みのない患者への安楽死が認められている一方で、日本ではそれは認められていないという現状からも分かる通り、「自死の是非」について、確固たる基準はないのです。

 この記事では安楽死を推奨するつもりは一切ありませんが、これまで刷り込みの根拠とされてきた宗教的思想に捕らわれず、「生きる権利」と対になる「死ぬ権利」について考えるいい機会になると思いますので、オランダにおける安楽死対象者の拡大と、安楽死の日本社会への導入について、考えてみてはいかがでしょうか。

 もし無条件で安楽死できるようになった場合、あなたならどうしますか??