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ひき逃げよりも轢いた相手を車に乗せたほうが刑が重くなる? 〜不思議な刑法の世界〜

轢いた人を車に乗せると殺人罪になることも?

 法律を勉強していると、たまに自分の感覚とずれている事象に出くわします。

 もちろん、あくまでも試験科目の範囲内だけで論じているからで、実際の社会では特別法によって修正されていることも多いのですが、今回はそういう不思議な事例のひとつを紹介します。

前提となる3つのケース

 まず前提として、次のような3つのケースを想定します。

1 単なるひき逃げの後、死亡してしまったケース

 自動車を運転していたXさんは、日中、人通りの多い道路で事故を起こし、歩行者Yさんを負傷させてしまった。事故に驚いたXさんは、救急車を呼ぶなどの救命行為をすることなく、Yさんの存在を認識しながらも、死んでしまっても仕方ないと思いながら自動車の運転を続け、遠方に走り去ってしまった。15分後、Yさんは事故で生じた傷が原因で、当該道路上で死亡してしまった。

2 轢いた人を車に乗せ、車中で死亡してしまったケース

 自動車を運転していたXさんは、日中、人通りの多い道路で事故を起こし、歩行者Yさんを負傷させてしまった。事故に驚いたXさんは、救急車を呼ぶなどの救命行為をすることなく、とりあえずYさんを車に乗せ、死んでしまっても仕方ないと思いながら自動車の運転を続けた。15分後、Yさんは事故で生じた傷が原因で、Xの運転する車の中で死亡してしまった。

3 轢いた人を車に乗せ、その後別の場所に放置した後で死亡してしまったケース

 自動車を運転していたXさんは、日中、人通りの多い道路で事故を起こし、歩行者Yさんを負傷させてしまった。事故に驚いたXさんは、救急車を呼ぶなどの救命行為をすることなく、とりあえずYさんを車に乗せ他の場所に運んだ。事故から10分後、Xは人がまばらな公園の前に車を停め、Yさんを降ろしてから再度車に戻り、Yさんが死んでしまっても仕方ないと思いながら遠方に走り去ってしまった。その5分後、Yさんは事故で生じた傷が原因でその公園で死亡してしまった。

それぞれのケースにおける不真正不作為犯の成立について考える

 もちろん、自動車で事故を起こし、人を轢いてしまったこと自体については、刑法211条の業務上過失致死罪が適用されます(正確には、刑法の特別法である自動車運転処罰法第5条の過失運転致死罪が適用されます。平成に入ってから何度か法改正があったため)。

 なので、いずれにしても刑罰を受けることになるのですが、交通事故の被害者であるYさんを助けなかったこと(不作為)に関しては、少し不思議なことが起こるのです。

前提知識の整理

 その前に、前提知識として不作為犯に関する整理です。

 まず、刑法には、不作為(何かをしないこと)により成立する罪が規定されています。例えば、不退去罪(刑法130条後段)です。

刑法第百三十条  正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

 人の住居等から、立ち去るように要求されなかったのに退去しなかった場合に、不退去罪が成立します。

 このように、そもそも不作為の形で記述された罪を犯すことを、真正不作為犯と呼びます。

 一方、刑法の条文において、作為(何かをすること)の形で記述された罪を、不作為(何かをしないこと)の形で犯すことを、「不真正不作為犯」と呼びます。

 例えば、目の前の人を助けようと思えば助けられたのに、あえて何もしなかったことでその人が死んでしまった場合には、殺人罪の不真正不作為犯が成立する可能性があります。

刑法第百九十九条  人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。

 もちろん、どのような状況であったとしても、目の前の人を助けず死んでしまった場合に、それを目撃していた人が殺人罪に問われてしまうのは適切ではないので、不真正不作為犯の成立のためには、一般に次の3つの要件が必要とされています。

  1. 法的作為義務の存在
  2. 作為の可能性・容易性
  3. 作為との構成要件的同価値性

 法的作為義務は、①法令、②契約・事務管理、③慣習・条理によって生じますが、今回のようなケースにおいては、XさんはYさんを事故で負傷させているため、③条理によりXさんにはYさんを助ける法的作為義務が存在していたと考えられます。

 また、Xさんは、事故を起こした後、すぐに救急車を呼ぶなどして、Yさんを救うための適切な措置をとることができたものと考えられ、2つ目の要件である作為の可能性・容易性も満たします。

 そこで、問題となるのが、3つ目の要件である作為との構成要件的同価値性です。

 これは、言葉は難しいのですが、要するに不作為自体に法益侵害惹起の現実的危険性があったのか、ということです。

 たとえば、人が周りに沢山いる中で、人を殴って昏倒させた場合、殴った人が殴られた人を置いて去っていったとしても、殴られた人は他の周りの人に救助される可能性が高く、放置する行為(不作為)自体には、法益侵害惹起の現実的危険性があったとはかんがえにくいです。このような場合、作為との構成要件的同価値性を欠くと言います。

 一方で、他に人のいない密室において、人を殴って昏倒させた場合、殴った人がその部屋を出て去ってしまうと、他に助けることができる人もいないため、殴られた人の命が亡くなってしまう現実的危険性があったと考えられます。このような場合、作為との構成要件的同価値性があると言います。

それぞれのケースにあてはめて考える

 交通事故のケースに戻りますが、1つ目の単なるひき逃げのケースにおいて、今回は人通りの多い道路上で事故を起こし、そのまま去っていることから、他の人によって助けられる可能性が十分にあり、作為との構成要件的同価値性が認められにくくなります。

 作為との構成要件的同価値性が認められない場合、放置行為自体に殺人罪の不真正不作為犯は成立せず、刑法の範囲内においては何ら犯罪行為に該当しないことになります(もちろん、Xは道路交通法上の救護義務違反等に問われる可能性がありますが、)。

 一方で、轢いたYさんを車に乗せ、そのまま車中で死亡してしまった2つ目のケースにおいては、車に乗せたことによって、YをXによる排他的支配領域内に引き込んだと考えられ、X以外の人がYを助けることができない状態でそのまま死亡してしまったため、救急車を呼んだり救護措置をするのではなく単に車に乗せた行為には、作為との構成要件的同価値性が認められるものと考えられます。

 作為との構成要件的同価値性が認められた場合、Xは、事故後、Yを車に乗せてそのまま死亡させてしまった行為について、殺人罪の不真正不作為犯の責任を問われることになります。

 それでは、3つ目のケースはどうでしょうか。

 3つ目のケースにおいて、Xは最終的に人がまばらな公園にYを放置しています。このような場合、2つ目のケースと異なり、公園において他の人がYを助ける可能性もあったため、構成要件的同価値性が認められにくくなります。

 したがって、殺人罪の不真正不作為犯の責任は問われにくいのですが、事故の相手を一度車に乗せた上で他の場所に放置することは、保護責任者遺棄致死罪(刑法219条)に該当するものと考えられます。

まとめ

 普段使用している言葉が多いため、何度か読み返さないと頭に入らないかもしれませんが、最初に上げた3つのケースについてまとめると次のようになります。

1 単なるひき逃げの後、死亡してしまったケース

→ 放置したことについては刑法上何の罪にも問われない

2 轢いた人を車に乗せ、車中で死亡してしまったケース

→ 殺人罪の不真正不作為犯

3 轢いた人を車に乗せ、その後別の場所に放置した後で死亡してしまったケース

→ 保護責任者遺棄致死罪

 

 いかがでしょうか。倫理的に考えれば、何もせずにただ放置した1つめのケースにおいて、Xはより責めを負うべきであるようにも感じられますが、刑法の世界だけで考えると違う結論になるのです。

 繰り返しになりますが、あくまでも事故の後の不作為についての話であって、どのケースでも事故を起こしたことについては責めを負います。また、あくまでも刑法(明治四十年法律第四十五号)に限った話で、他の特別法は前提としていません。 

 もちろん、実際に事故を起こしてしまった場合には、決して逃げずに、安全を確保し、救急車を呼び、応急処置を施してくださいね。追うべき責任を軽くしたいのであれば、相手に生じた損害を最小限に留めるのが一番ですから。

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刑法入門 (岩波新書)

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  • 作者: 山口厚
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2008/06/20
  • メディア: 新書