リカレント!

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偏差値75の高校に入ったら世界が変わると思っていたあの頃

首都圏 高校受験案内 2017年度用

高偏差値高校に入学した結果…

 特に結論や教訓が有るわけではないが、高校生クイズで色々な有名高校の名前を見て思うことがあったので、少し昔語りを。

 それは中学生の頃。

 小学生の頃は一切塾に通わず、中学受験もしなかった私は、東京都内のありふれた区立中学校に通っていた。公立の中学校であるからもちろん入学に際しての選抜はなく、私の通っていた地元の小学校の大半がそこに進学した。

 別にそれが不満であったわけではない。特にいじめられたりとかそういうことは一切なかったし、逆に、生徒会に所属して、通常の生徒では得ることのできない個室を使用できることにささやかな優越感を感じていた。

 ただ、そうして流れ行くありふれた日常に、日々感じていたことがある。それは「つまらない」ということだ。

 突出してすごい人物が同学年にいたわけでもないし、当時放送されていた金八先生のような非日常的な学園生活があるわけでもない。

 こんなつまらない毎日を過ごしながらいずれ大人になるのは嫌だと切実に思っていた。

 

 そんな中、少し面白みを感じていたのが、中学生になってから通い始めた進学塾での授業だった。

 別に、その進学塾での授業が面白かった訳ではない。もちろん、塾での学びは学校の授業によるものより何十倍も役立ったが、それ以上に刺激を受けたのは、そこに集まる他校の生徒だった。

 私が通っていたのは、関東に多く展開している某Wという進学塾で、家から自転車で約15分で通うことのできる校舎に通っていた。だから、別に東京都内のエースが集まる進学塾のようなところではなく、地元の中学生が集まる進学塾だったのだが、それでも複数の中学校から勉強熱心な生徒を集めることである程度の集団にはなるようで、地元の中学校で勉強するよりも、より一層の競争意欲を掻き立てられた。

 そこで出会った友人とは今でも繋がりがあるが、彼らは勉強だけに秀でているわけではなく、話術が巧みだったり、陸上で全国大会に出たりと、多様な才能を持っていた。

 それゆえに、勉強以外で彼らと張ることのできるものがなかった私は、せめて勉強だけは負けないようにと思いながら、日々勉強に勤しんだ。

 その結果、いつの間にかその進学塾で1位と2位の間を行き来するようになり、中学3年に上がる際には、某Kという日本有数の進学校の受験を目指した、特別選抜クラスに入ることができた。

 そのKという進学校は偏差値が74、高校から入ることができる高校としては、ほぼ日本一だった。

 まさに中2病まっさかりの私は、そんな高校に入れば、人生の次なるステージに行くことができるのではないかと心から信じていた。「次なるステージ」というのが曖昧だが、当時私自身が思っていた例えをそのまま用いると、通常の中学校におけるテニス部の世界から、「テニスの王子様」のようなテニスができる世界にステップアップできるのではないかと思っていたのだ。

 

 そんなことを考えながら、1年が過ぎた。

 

 人生はじめての受験は、結果的に上手くいき、目指していたKよりも更に偏差値の高いT高校に行くことができた。当時の「高校受験案内」という本では偏差値75。目指していたK高校の定員が100名であるのに対し、T高校は40名の合格者しか出していなかった。

 「これはやったぞ! 人生の次のステージに行ける!」 

 今から思えば「人生の次のステージ」みたいな考え方が馬鹿げていると思うのだが、当時の私は本気で心のなかでこのように叫んだ。

 

 そんな私が臨んだ、同年4月1日の高校の入学式。

 附属の中学から進学してくる生徒や、私と同様に高校から進学してくる生徒の顔は、とても賢そうに見えた。また、それまで男女共学の環境で過ごしてきた私は、男子校ならではの雰囲気に威圧されていた。

 「やはりここは次のステージだな」

 私は人知れず呟いた。

 

 しかし、入学式から1週間くらい経ってみると、私のその期待は裏切られていたことに気付く。

 確かに、彼らは非常に地頭がよく、勉強もよくできるが、精神面では子供だった。

 それは、異性のいない男子校という環境も影響しているのかもしれない。

 高校生になっていまだにアニメやゲームの話をしているし、会話も子供っぽい。

 私の中学校の同級生や、通っていた塾の友人達の方が、よっぽど大人びていた。

 私が夢見ていた超進学校に対する幻想は打ち砕かれた。

 

 今となって思えば、逆にこれでよかったと思うのだが、いい意味で、そこに通う生徒は「普通の人間」だった。

 どこまでいってもそこは、これまで私が交流してきた「人間」の延長線上でしかなく、その高校で私が過ごした日々も、それまで私が過ごしてきた日常の延長線上でしかなかった。

 

 そのことを、身を持って知った私は深く絶望した。

 人生に「次のステージ」なんてないのだと。

 

 それと同時に、私は思った。これまでの人生、私は受け身に過ぎたのではないかと。

 「いい高校に行けば、よりよい生活が送れる」

 そんな幻想は、私が「超進学校」という環境から何かをもらうことができるのではないかと考えていた故に発想されたものである。

 しかし、現実はそうではないのだ。

 どんな場所にいようと、その環境が私に与えてくれるものは非常に僅かで、つまらない日常を打破するために必要なのは、私自身の行動なのだと。

 

 これに気付くことができたのは、この高校に進学することができたからだと思っている。もし高校受験に失敗し、滑り止めの高校に進学していたら、恐らくこう思っていたことだろう。

 「私の人生がつまらないのは、高校受験に失敗したからだ」

 

 この経験は、東京大学に入学した後に活きた。

 通常なら「東大に入れば人生が変わる!」とか思いがちなところ、私はそんな幻想を抱きはしなかった。

 それだからこそ、東大生の大半がしない、日本全都道府県制覇や地球一周、アメリカ横断自動車旅行といった貴重な人生経験を積むことができた。

 

 ここまで書いてきた中で既に御承知かもしれないが、念の為に申し上げておくと、私がこの文章でいいたいのは、「高偏差値の高校に行っても意味がない」ということではない。無用な幻想を抱かなくなったということは、私の人生において非常に重要な意味を持っており、それ故に無形有形問わず多くのものを手に入れることができた。

 しかし、物事すべてに裏表があるように、この経験もいいことばかりではない。大抵の場合に、幻想があくまで幻想にすぎないことを知ってしまったがゆえに、私は、人が憧れるものを簡単に捨ててしまう性格になってしまった。

 その性格であることを一切悔やんでいないが、世の中の多くの人と価値観がずれてしまうことは確か。

 やはり人生に正解はないのである。