村上春樹「ノルウェイの森」は何度読んでも面白い
村上春樹さんの「ノルウェイの森」。「万が一外国で村上春樹の話になった時に話せるように読んでおこう」と、世界一周旅行の最初の一歩、下関から青島に向かうフェリーの中で初めてこの作品を読んだ。
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」等の村上春樹さんの作品はその前から読んでいたのだが、友人からの「ただのエロ小説」という前評判から遠ざけていたのである。
しかし、フェリーの中で読み進める中で、一気にその世界観に引き込まれた。
仄暗い雰囲気の中、常に死の雰囲気をまとうこの小説は、一つの境地であるように感じた。
確かに、性に関する描写は多い。しかし、それを現実世界に置き換えてこの小説を読むから、「エロ小説」という下卑た表現をしてしまうことになる。
村上春樹さんは、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」や「ねじまき島クロニクル」のように架空の世界での話を書くこともあれば、「海辺のカフカ」や「アフターダーク」のように、現実世界を模した世界観で話を書くこともある。
「ノルウェイの森」は、後者に属する作品だ。あくまでも、現実世界と似た、架空の世界で繰り広げられる出来事なのである。
生と死の対比的な描写
私は、ノルウェイの森にはまってしまって、世界一周旅行中日本語が恋しくなる度にその物語を繰り返し読んだし、帰国してからも何度も読み返した。果ては、英語版の「ノルウェイの森(NORWEGIAN WOOD)」まで2、3度読み返すほどである。
「ノルウェイの森」という言葉自体は、ビートルズの"NORWEGIAN WOOD"を国内で発売する際の誤訳だという。この誤訳があったからこそ、このような素晴らしい小説が生まれたとも言えるわけで、誤訳事件には感謝しているが、海外の人が"NORWEGIAN WOODS"の意味合いではなく、「ノルウェイの木材」の意味で捉えているであろうことは少し残念である。「ノルウェイの森」というタイトルから醸し出される陰鬱な雰囲気を感じ取ることができていないからだ。
また、海外版で残念なのはその装丁である。詳細は後で書くことにして、日本では装丁すらも、この作品のテーマである「生と死」を狡猾に表現していたのだが、海外では上下巻が合本となり、しかも全く異なる装丁で販売されてしまっているのだから手に負えない。
もう一つ海外版で残念なのは、「生」を象徴するヒロインである小林緑の名前がそのまま"Midori"であることだ。ここは、違和感を覚悟してでも"Green"にすべきだったのではないだろうか。装丁が異なるとはいえ、「魔の山」や陰鬱な森のイメージカラーと名前のリンクを断ち切ってしまったのは残念である。
さて、この小説の優れたところは、「生と死」の巧みな描き方である。
主人公のワタナベトオルに対して、ヒロインは直子と緑の2人が存在しているが、この対極的な2人のヒロインが、生と死をそれぞれ象徴しているのである。詳細はここで語るでもなく、まずは読むことから始めていただきたいが、直子は常に死の雰囲気を身にまとい、緑は常に生のエネルギーを発散し続けている。
小林緑の「みどりという名前なのに緑色が似合わない」という発言は、このことを直接的に表している。この世界において、生の象徴である血の色の赤は「生」を、直子が死ぬ山のカラーである緑は「死」を、それぞれ表しているのである。
そうだからこそ、この本の装丁は、日本版のように赤と緑のツートーンであるべきだし、それを放棄してしまった海外版が残念なのである。
この小説の一番のキーフレーズ「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している(Death exists, not as the opposite but as a part of life.)」は、エロスとタナトス、リビドーとデストルドーが常に並存していることを示している。
このフレーズに思いを馳せるとき、生の象徴である小林緑も、いずれ自死を選んだのではないかという気がしてくる。死の象徴であった直子は当然死を選び、そして、中立的な立場であったハツミさん(学生寮の先輩である永沢の彼女)でさえ人生でそのステージに達したときに死を選んだのである。死が生の一部として存在しているのであれば、緑だって例外ではない。
ノルウェイの森が好きではないという人は、生と死の対立というこの本の本質を捉え切ることができていない。ただ暗いだけの恋愛小説として読むから、この小説の良さがわからないのである。
生と死の対極を巧みに描いている作品といえば、エヴァンゲリオンシリーズが挙げられるだろう。特に、「劇場版 まごころを君に」はそれを地で行っている。
新劇場版からの俄かなエヴァンゲリオンファンにはわからないかもしれないが、アスカの首を絞めるラストシーンの対極となる、最初にシンジがアスカを"襲う"シーンにだってきちんと意味はあるのである。ATフィールドはリビドーの象徴であり、ロンギヌスの槍はデストルドーの象徴である。
小説とアニメという全く異なるジャンルではあるが、エヴァンゲリオンファンであれば、ノルウェイの森も絶対にはまるはずである。
私のように、前評判で遠ざけていた人も、ぜひ手にとって、読み進めてみて欲しい。いつの間にか、死の影があなたの背後まで忍び寄ってきているはずだ。