「おぎやはぎの愛車遍歴」ってご存知ですか?
最近存在を知ったBSのテレビ番組に「おぎやはぎの愛車遍歴」という番組があります。
これが本当に面白い。
有名人が、これまでどんな愛車に乗ってきたかを振り返りながら、その人の人生を語る番組構成で、車大好きな人気お笑いコンビのおぎやはぎが司会を務めます。その遍歴の中で特に思い入れが深い車を、実際に探し出してきて、乗車しながらトークする場面もあります。
なんでこんな面白い番組を知らなかったんだ!と思いましたが、実は2011年からやっている長寿番組だったんですね。BSだとこんなにも知名度が広がりにくいんですね。
私がどハマりしているクレイジージャーニーとタメ張るぐらい面白いです。
最初に見たのが、オセロの松嶋尚美さんの回だったのですが、そこからELTの持田香織さんの回、オードリーの若林さんの回、MEGUMIさんの回、哀川翔さんの回、森山良子さんの回と見進めて、どっぷりとはまってしまいました。
この番組で知ったのですが、おぎやはぎの小木さんって、いつの間にか森山ファミリーの一員になっていたんですね。
実際、芸能人でなくても、周りの皆さんの愛車遍歴を聞いたら面白いだろうなと思いつつ、私自身はまだ遍歴を語るほど車に乗っていません。レンタカー遍歴ならまあまあ語れるかもしれませんが、人生を語れるほどではないですからね。
そこで、こんな企画を思いついてしまいました!
「携帯遍歴 -No phone, no life.-」
私が携帯を持ち始めたのは、ある程度携帯電話が普及した後ですが、それでも、何台も乗り換えましたし、私の人生の傍に常に存在していました。
皆さんの携帯遍歴も是非聞いてみたいですが、まずは私の携帯遍歴を辿ってみたいと思います。
A1012K(京セラ) 2002年4月〜9月
私が初めて使った携帯電話は、京セラのA1012K。中学生になって、進学塾に行くようになったことから、携帯電話を買ってもらいました。
両親がauを使っていたことから、回線はauでした。
一番惹かれたのは、この真っ青なブルーでした。メタリックに光るブルーが綺麗で、当時にしてはかなり薄くスマート。しかも、画面を折りたたんだ外側にもディスプレイがあるのが高機能に見えました。
中学校でできた新しい友達と、毎日これでメールをしていた記憶があります。今のLINEを余裕に超える頻度で、メールしまくりでした。
A1013K(京セラ) 2002年10月〜2003年12月
振り返ると、初代の携帯電話を使っていたのは半年だけでした。まあ、当時は、今ほど端末の価格が高くなかったですし、携帯電話の技術がどんどん進化していたので、新しいのが欲しくなってしまったんですよね。中学生にとっての半年って体感的にかなり長いですし。
京セラの次世代機A1013Kは、背面ディスプレイがカラーになり、また、カメラ機能が付いたことから、こちらに飛びついてしまいました。カメラカバーの開閉が、側面にあるボタンでできたのですが、カメラカバーを外すだけでカメラ機能がクイック起動する機能もあって、便利でした。
こんないい携帯電話を出してくれるメーカーは本当に素晴らしいと、当時の私は京セラを崇めてた記憶があります。
SO505iS(ソニー・エリクソン)2004年1月〜2005年3月
京セラの携帯電話、気に入ってはいたのですが、個人的にはauというブランドが好きではありませんでした。当時の私的には、ブランドとしてdocomoの方が上であるように感じていたからです。
そこで、初めてドコモに乗り換えて使用したのが、ソニー・エリクソンのSO505iSでした。当時国内キャリアトップのdocomoと、世界に誇る電機メーカートップのソニーの力が合わさって、無敵の気分でした(本当の意味で中2病でした)。
写真を見ればお分かりの通り、閉じた状態でも画面が支えて、文字を打ちたい時はキーボードをグルッと出す形でした。
閉じた状態の背面は、おしゃれなデジタルカメラみたいだったのも良かったですね。
当時はまだ、SDカードに、ソニー独自規格のメモリースティックが対抗していた頃だったので、メモリースティックを使って音楽を取り込むことができました。携帯電話がミュージックプレイヤーとしても機能するなんて、夢のようでした。
P900iV(パナソニック)2005年4月〜2007年3月
高校生になって、携帯電話を変えました。と言っても、これは新しく買った訳ではなくて、弟が使っていたのを、機種変更の際にもらう形でした。
なんでかというと、この機種はアプリFF7BC(ファイナルファンタジー7 ビフォア・クライシス)に対応していたからなんです。ハンディカムみたいに変形するフォルムもカッコいいですが、FFシリーズにどハマりしていた私としては、FF7BCを遊べることが、この機種の最大の魅力でした。このゲーム、対応機種が結構少なかったんですよね。
当時は携帯電話メーカーがFFとコラボするなんていう楽しい時代でしたね。
外側のメッキが剥がれやすいことを除けば、動きも軽快でフォルムもカッコよく、いい端末でした。
P903iX HIGH-SPEED(パナソニック)2007年4月〜2012年10月
FF7BCをきっかけにパナソニックの携帯を気に入った私は、同じくパナソニックのP903iXに乗り換えます。赤と黒のド派手なデザインで、でも洗練されたスマートさも備えるこのフォルムに惹かれました。
当時、ちょうどFOMAのハイスピードエリアが始まったばかりで、それに対応する数少ないHIGH-SPEEDシリーズでもありました。
この端末が優れていたのは、ガラケーであるにもかかわらず、取り込んだ動画を見ることができたこと。対応するフォーマットは限られていましたが、コードギアスに大ハマりしていた私は、変換してこの携帯に取り込んで、外出中でも見ていた記憶があります。
この端末も、外側がポロポロと剥がれやすいのが難点でしたが、かなり気に入って、大学に入ってもずっと使っていました。私が使用していた最後のガラケーでもあります。
GALAXY Note 2(SAMSUNG)2012年11月〜2015年7月
ギークな私にしては珍しく、大学時代の多くをガラケーとともに過ごしていましたが、大学時代最後に世界1周をするため、スマホに切り替えることを決意します。
少しでも荷物を減らすため、電話とデジカメと地図をひとまとめにしてしまいたかったのです。
iPhoneとも迷いましたが、スペック厨だった私は、ドコモのカタログを見比べて最高のスペックを誇っていたこの端末に決定。すぐにドコモショップに行きました。
この端末は想像以上にサクサクで、ノート機能が便利すぎました。バッテリーの持ちも良く、大画面で地図も見やすかったため、海外旅行でも役に立ちました。海外旅行では盗まれないように、ケースに入れた上で頑丈なチェーンでベルトに結びつけていたのもいい思い出です。
GALAXY Note 5(SAMSUNG)2015年8月〜現在
GALAXY Note 2は素晴らしい端末でしたが、長年使っているうちに内部の基盤が劣化したのか、処理スピードがだんだん遅くなってきました。ソフト的に内部をクリーンアップしてもこの状況は変わらないため、これは機種変更するしかない!と。
ただ、待てど暮らせど、GALAXY Note 4以降の端末が出ません。
そこで、初めて、海外からのスマホ輸入に手を出すことになります。Expansysのサイト経由でしたが、8万円ほどの出費でした。こんなに高い買い物をして動かなかったらどうしようかと不安でしたが、思いの外あっさりとドコモの回線でつながりました。
タッチペンもNote 2よりさらに書きやすくなり、動作も一段と早くなりました。バッテリーの持ちも抜群です。スペック的には、これ以上望むものはありません。
最高のパートナーに会えた気分です。
あなたの携帯遍歴は?
ということで、以上、私の携帯遍歴でした。
こうやって振り返ってみると面白いですね。
便利さでは現在使用しているGALAXY Note 5がトップですが、見た目のスタイリッシュさやワクワク感としてはSO505iSがトップです。世界的な競争には負けてしまいましたが、当時の日本企業は本当に優れた携帯電話をたくさん作っていました。
これからも、スペックでiPhoneやGALAXYに勝つのは難しいと思うので、もっと個性的な端末(プレステ機能搭載スマホとか、一眼レフ型のスマホとか)を開発したら、流行る気がするんですが、どうなんでしょう。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます!あなたの携帯遍歴はどんなストーリーを紡ぎ出すのでしょうか。コメント欄で、ツイッターで、あなたのブログで、振り返ってみてはいかがでしょうか。